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20131020

申請と拒否と沈黙

【カテゴリ:考察】

こんなことを考えた。
AさんとBさんという人がいたとする。
AさんはBさんと友達になりたい。しかし、BさんはAさんと友達になりたくない。
この場合、どちらの意見が尊重されるべきなのだろう。
社会を見渡してみて、例えばフェイスブック。フェイスブックには友達申請というシステムがあり、知り合った人に「友達になりませんか?」という申請を行った後、相手から「OK」の返事が来れば、晴れて二人は友達となる。ところが、まったく見知らぬ人からの友達申請というのも来る。この場合、答えを保留して友達申請を拒否する。つまり、あなたとは友達になれません、という意思表示をする。
というと、これはつまり「友達になりたい」という権利より「友達になりたくない」という権利の方が強いということになるのだろうか。
例えば、ストーカー規制法。どうしてもBさんと友達になりたいと思ったAさんは、その思いの強さあまりBさんをつけまわしてしまった。Bさんは益々Aさんを遠ざける。結果、Aさんは警察に警告を受け、ついには逮捕されてしまった。法律では、拒否する側の人間を守ることになっている。
問題を進めて、晴れて友達になったAさんとBさん。同じ職場で働く同僚だった。今度一緒に食事に行くことになった。Bさんは「イタリアンが食べたい」という。ところがAさんは「イタリアンは食べたくない。和食が食べたい」という。Bさんは和食を食べたくなかった。さて、こんな時どうしたらいいんだろう。申請と拒否のカードが二回でてしまった。Bさんは一生懸命イタリアンのおいしさについて語る。Aさんも負けじと和食の魅力について演説をぶつ。口角沫を飛ばす激論になった。二人とも拒否の姿勢を崩さない。結局、食事には行かないことになってしまった。
問題を進めて。それから数日後、Aさんは仕事で失敗してふさぎこんでしまった。もう、何日も家から出てこない状況になっている。Aさんを心配したBさん、家まで行ってみることにした。
ピンポーン。
Aさん、自転車も車もあるしどうやら家にいる様子だが、やはり出てこない。Bさんはドアを叩いてAさんを呼び続けた。「Aさーん!Aさーん!」すると、ドアの向こうからAさんの声が聞こえてきた。
「何しに来たの?」
「Aさんの様子を見に来たんだよ」
「帰ってくれる?」
「いや、Aさんに家から出てほしいんだよ。外へ行こうよ」
「…家から出たくないんだ」
またもや申請と拒否のカードが出た。こうなると、やはり拒否の権利の方が強い。このまま強引にドアをこじ開けることも出来るが、法律では器物破損と不法侵入の罪に当たる。いったい、どうすればいいんだろうか。Bさんは悩む。今日は帰ることにした。
問題を進めて。
なんとか立ち直ったAさん。ご迷惑をおかけしました、と職場に復帰した。どうしてこんなことになったんだ、と上司に聞かれこう答えた。
「私は以前から不器用で、人と一緒に行動していても、どうしてもワンテンポ人と行動が遅れてしまうんです。けれど、みんなはテキパキと動いていて、私にもっと急いでほしいというんです。急げませんと私は拒否しました。急ぐと失敗するから急ぎたくないんです」
上司は上の者と相談し、翌月Aさんを解雇することにした。前回の失敗で会社に大きな損害をあたえたということが理由だったが、本音はAさんが会社にとって能力不足であるとみなしたためだった。

で。
さて、自分が考えていることというのは、自由意志とその尊重されるべきレベルについてなのだけど、○○したいとか、○○したくないとか、人それぞれ思いはあって、それを意思表示するかしないかは個人の裁量に任されている。申請も拒否も個人の自由だけれど、その内容に対して、社会の許容レベルであったりとか、法律で守られることかどうかなど、ずいぶんと差がある。「それは真っ当な意見だけど、それはただのワガママでしょう」と人に判断されたりする。が、その明確な境目はない。冒頭の「友達になりたい人」と「友達になりたくない人」の例も、これは圧倒的に「なりたくない人」の方が権利が強いが、果たしてその理由が「あの人、口臭いから」とかだったらどうなんだろう。
申請と拒否では、何故拒否が強くて、ケースによって申請の方が強くなるのは何故なのだろうか。
冷房の効き過ぎたファミレスで、みんなもう少しエアコンの温度を上げてほしいと思っている。が、一人だけまだ暑いと思っている人がいて「エアコンの温度を下げてくれ」と言う。店員は、言われたとおりエアコンの温度を下げる。他の客は黙りながらも心の中で「マジかよ!?」と思っている。沈黙された拒否。
結局、強いのは申請でも拒否でもなくって、明確に意思表示ができ、なおかつ言葉の達者な人、頭の回転が速い人であったりする。

Aさんは、会社からの解雇を不当だと思い、裁判を起こした。結果、裁判所ではこの会社がブラック企業に当たるという判決を出した。社員にノルマを課し、競争させ、脱落したものを切り捨てていくというやり方に警告を発したのだった。Aさんは勝訴した。
Bさんは思う。「その会社で黙って言われるまま一生懸命頑張ってきた自分はなんだったのだろう」
申請と拒否と沈黙。
強いものは何か?美徳とされるべきものは何か?正しきもの、卑しきものは何か?真実はなかなか表に出てこない。

横断坊や

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20131016

仕事の話

【カテゴリ:日常】

ということで、長崎から帰ってきました。
一週間の出張でガソリンのタンクに足場をかけてきました。
ガソリンタンクというのは、よく海辺に円柱状のタンクが林立したプラントがありますが、石油やら重油やら軽油やらを貯蔵するやつですな、その中の一つです。大きさが直径20m弱くらいでしょうか、高さがビル5階分くらいの、そこそこ大きめなタンクです。
で、このプラントというのは油を扱うわけですから施設内のルールが厳しくて、例えば場内で携帯電話を持ち歩いてはいけないというルールがある。施設に入場する際に新規教育といって場内のルールなどを教わりますが、ガソリンは引火しやすく火気厳禁という大前提があります。しかし、ほんなら火気って何さ?と、火気を起こす原因として何があるかを聞いたりするのですが、ライターなどはもちろんで、ハンマーすらいけないんだという。ハンマーで鉄を叩けば火花が散る可能性がありますから、これは「火器」に当たるというのです。そんなわけで、仕事のできる時間に制限が多い現場でした。
ガソリンというと、ほとんどの人が車の運転などで使っていると思うのですが、あれって一体どこからやってくるのか?
現場で仕事をしていると、場内にひっきりなしでタンクローリー車がやってきて油を積んでいく。これは各々の配送ルートでガソリンスタンドに油を運んでいるのでしょう。では、そのプラントにはどうやって油が運ばれるのか。巨大なタンクにどうやって油を貯めていくのか。
というと、これは船が運んでくる。油のプラントが何故海辺にあるのかというと、岸につけた船からそのまま油をポンプでタンクに移すためです。船で運ばれてくる油はそもそも製油プラントで作られたもので、製油プラントには産油国からやはり船で運ばれてくる。
んで。
ガソリンというと、色々な販売店がありますね。コスモやらエネオスやら、昭和シェルやら。今回自分は初めて知ったのですが、あれって、それぞれ違うガソリンなのかと思っていたら、皆一緒のようなんですね。というのは、プラントにやってくるタンクローリー車はエネオスやらコスモやらバラバラなんですが、同じ油を積んでいくんです。それでは何故ガソリンの値段がスタンドによって微妙に違ったりするのかと言えば、それはスーパーによって同じ牛乳が違う値段のように、販売店の売値だけの問題のようです。というわけでガソリンは販売店で選ばず、値段で選んでいる方がお得かもしれません。どうせ同じモノならばね。それぞれ品質が違うのかと思っていました、僕は。(ちょっとネットで調べたら、ハイオクだけは販売店によって品質に差があるそうです)

そんなわけで船でしょっちゅう油が運ばれてきて、その油をタンクに入れる作業の度、足場の仕事が中断になる。タンクに油が入れば、その分、タンク内の空気の嵩は減っていきます。減った分の空気は外に逃がしてやらねばいかないから、タンクの上部には通気口が空いていて、ここから空気が逃げ出します。しかし、ガソリンは揮発しやすいですから、通気口から逃げ出した空気には多量の揮発したガソリンが含まれているわけです。これが空気中に流れてしまえばいいのですが、空気よりも重いため、当然タンク周辺の地上に溜まってしまう。この時、地上に火気があると引火、爆発を起こしてしまうため仕事が出来んのです。実際、現場周辺はガソリンの臭いがする。で、これが風などによって自然に流れるまで僕らは待機していました。
この足場の解体が来月らしく、また長崎に行くかもしれませんが、今度は大分県で吊り足場の仮設も始まるらしく、その仕事内容を知らない自分が「吊り足場ってなんですか?」と先輩に聞くと、なんだか地上30mにある高速道路の橋の下に足場を組むらしく、おそらく橋の下のコンクリートに亀裂が入っていないかなどチェックするのでしょう、そのための足場をチェーンで吊って作るらしい。最初は足がすくんで作業が出来ないそうなのだけど、「慣れれば大丈夫、慣れるまでが仕事みたいなもんだから、あ、それから下は民家だから絶対に物を落としてはいけないから」と話していました。命綱を2本使って移動しながら作業するらしい。落っこちたら即死、何か落っことして人の頭に当たっても即死、というような状況の中で仕事をします。
この仕事を始めてまだ5か月なんだけど、いやあ、世の中にはこんな仕事があったんだなと今でも思っている。何か大きな建造物を作る時、瀬戸大橋にしろ、青函トンネルにしろ、出来上がったものを見て「人ってすげーな、よくこんなものを作ったな」と簡単に思ってきた自分でしたが、いざそういう仕事をしてみると、到底人間業ではないような思いがしてきます。実際に大工事に災害はつきもので命を落とす人も少なくないですが、仕事にかける一人ひとりの執念というか、早く家に帰って家族の顔がみたいとか、安心して眠りたいとか、そんな、言ってしまえば普通の生活を一旦は忘れて仕事に没頭している、そんな職人さんたちを心から尊敬します。そういう気持ちの集まりが大きなもの、歴史的なもの、素晴らしいものを生んでいるんだなと痛感している30歳。一人プロジェクトXの気分なわけです。


プラント

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20131008

日々の妄想

【カテゴリ:日常】

『マシンガン日和』

マシンガンに撃たれた男(立ち上がる)「お、俺に弾を食らわせたやつは・・お、お前が初めてだ・・・。どおれ、もう一つ、弾をくれねえか。さ、さっさと楽にさせてくれ」

マシンガンを撃った男(おかま立ちで)「あたいはね!生まれてからこのかた一度だって弾を外したことはないんだよ。よおく見ておきな、これがお前の見る最後の光景だよ。この銃口から発せられる煙を見ずしてお前は死す」

(ダダダダダッというマシンガンの炸裂する音)

マシンガンに撃たれた男(ジョジョ立ちで)「・・・・・・・」

マシンガンを撃った男(おかま立ちで)「あたいはね、マシンガンだけが友達だったのさ」

(風が吹く、一面の野原)


という映画の脚本を書いておりません。書いておるわけではないんですが、書いたつもりになって久々にパソコンの前に座っております。さろ坊です、こんにちは。
えー最近は、などと言いつつ、前回のブログを書いてからいきなり夏を越しまして、気がつけば秋もまっただ中、ということでこう、何を書いたらいいものか考えあぐねて三千里、つぶグミなんぞを食べております。
先日、母親が
「あんたはもうブログを書かないのかい?」
と電話で話していたのですが「仕事が忙しくてね」なんて言っている折、突如やってきた台風24号の影響のおかげで仕事が延期、本日一日まったくのフリータイムとなり、こうして久しぶりに、え、キーボードなんぞをパチクリしている次第でございまして。パチパチ、クリック、パチパチクリック。
実はさっきも病院に行ってきた帰りで、ここ2か月、体温が37度を超えたままなかなか下がらない、という奇病に襲われており、いやあ、今年の夏は暑かったでしょ?仕事中に熱中症になって呼吸困難と痙攣を起こす、という経験をしてから向こうずっとこんな感じで、まあ生きておるんですがね、もう俺死ぬんじゃないかと思って、死ぬ前にたくさんビールを飲んでいるところです。イヒヒ、うまいね、こいつは。
しかし、まあ、そんな話はどうでもよくて、何か面白いことを考えようと頭をひねっていたら、冒頭の映画『マシンガン日和』が頭の中でオンエアされはじめたという具合です。


マシンガンに撃たれた男(仰向けで空を仰ぐ)「こ、これを・・・」

マシンガンを撃った男(おかま立ちで)「ミソラシド~♪あら、なにかしら?これは」

(男の手に握られていたのは一粒のカシューナッツ)

マシンガンに撃たれた男「へ、へっ、せいぜい良いガンマンになるこった」(動かなくなる)

マシンガンを撃った男(ジョジョ立ちで)「カシューナッツ?馬鹿じゃないの、こいつ」

(野原に放られるカシューナッツ、太陽に輝いて)


明日から長崎に行ってきます。仕事の出張で、重油タンクに足場をかけるという内容で、今が夜の8時でしょー。6時間後の2時に起きて、高速をぶっ飛ばして、早朝から俺は明日への足場をかける。って、なんか近況報告ばっかりになっちゃってるね。近況報告してても面白くないから、意味あることを書きたいんだけど、意味あることってなんざんしょ。意味性のない情報ほど意義深い情報かもしれない。
長崎って町は、昔から出島があったから外国の情報が盛んに入ってきた土地で、通りを歩いていると「ボーリング発祥の地」とか「気球初飛揚の地」とか色々な日本ことはじめの記念碑が建っています。職場の人と、向こうに行ったら何を食べようかと話していて、長崎といったら、ちゃんぽんとカステラ、それとトルコライスが有名なのだけど、地味に牡蠣がうまい、ってことで牡蠣を食べようという話になりました。この時期になると、海沿いに牡蠣焼き小屋といって、牡蠣のバーベキューハウスみたいな店が軒を並べ、1個50円~くらいで買って、その場で自分で焼いて食べられる。これが抜群にうまくて、もし長崎に行かれることがあればこれをおススメしたいです。
しかし、台風24号が現在長崎で猛威をふるっているみたいで、大丈夫なのか、長崎。というか高速。下道だったら宮崎から10時間はかかるぞ。と心配しながら今日を暮らしています。


マシンガンを撃った男(ジョジョ立ちで)「なんだかピスタチオを食べたくなったわ」

(野原に落ちたカシューナッツと横たわる男のアップ)

(野原がささやく歌、大地に響き渡りマシンガンを撃った男を見送る)

マシンガンに撃たれた男(天国への階段をのぼりながら)「やれやれだぜ。俺もついに年貢の納め時か。しかし、お笑いだな。クックッ」

(男、ポケットに手をつっこみ一粒のピスタチオを取り出す)


さあて、このあとどうなるんでしょうね。いい加減、夜も更けたので寝ます。続きはまた後日。

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20130630

蜂の巣談義

【カテゴリ:日常】

職場によく蜂の巣が出来る。
飯場(はんば)といって、作業員の詰所があるのだけど、ここに先日スズメバチの巣が出来た。自分が使っているロッカーの横にスズメバチがせっせと巣づくりしている。こいつがでかくなった日には、大量のスズメバチが自分のロッカーの横に陣を張るのであって、こいつぁ怖い。怖いので駆除することにした。
職場の人間4,5人で知恵を出し合い、どうやってスズメバチに刺されずあの巣を除去するのか考えた。
幸い、巣は作り始めでまだ小さい。
一人の先輩が「とりあえず、巣を作っている蜂があの巣に近づけないようにしよう」と言い、この巣をプラスチックカップで覆って蜂が近づけないようにすることにした。
巣作り中のスズメバチが外に出かけている間にさっとカップを巣にはめ込み、上をテープでふさいで様子を見る。巣に近づけなくなった蜂に巣作りをあきらめさせる作戦だ。
しばらくすると、テープの粘着力が弱かったのか、カップがテープからはがれて斜めに隙間があいた。これでは蜂が帰ってきたらまた巣に近づいてしまう、ってんでその巣のカップを再度テープで張り直そうとした時、スズメバチが帰ってきた。
スズメバチに襲われると思った我々人間は各々に「わっ!」とか「うおっ!」とか奇声を発しつつ、逃げまわった。
逃げた我々を横目にスズメバチは何事もなかったかのようにカップの隙間から巣に到着。またしてもせっせと巣作りを始めた。
いかん。このままでは巣作りは進行され、巣が完成してしまう。
固唾をのんで見守る中、一人の先輩が「今、あの中にジェットを吹き込めばいいんじゃないの?」と言った。
ジェットとはスプレー式の殺虫剤のことだが、こいつをカップの隙間から吹き込めば蜂ごと巣を駆除できるんじゃないかという案である。
テープがはがれ、そこにスズメバチが帰ってくるという予期せぬ出来事の発生だったが、確かに今ここであのカップの中にジェットを吹き込めば、きゃつらは一網打尽である。人間万事塞翁が馬。
「誰が行きますか?」先輩が言う。
もしかしらたら、怒ったスズメバチが反逆の姿勢でもって、ジェット使用者を刺しに来るかもしれない。
「誰が行きますか?」
隙間を外せば、次の瞬間、蜂はカップから逃れ、我々を襲うだろう。
「誰が行きますか?」
私に白羽の矢が立った。新人として大した仕事も出来ない私がこの時くらい役に立たねばならぬ。ってんで立ち上がる。
手にタオルを巻いて一応の保護。ジェットを持って巣に近づき…頃合いを見計らって。
ブッファーーーーーーーー!!!
スズメバチがカップの中で暴れている様子が見える。しかしそれも次第に色濃さを増す殺虫剤の煙霧の中で見えなくなっていった。何秒間、噴射し続けただろう。やがて蜂はカップの底に横たわった。スズメバチは巣ごとその生涯を終えた。作りかけの巣をまじまじと見つめる。そうか、スズメバチの巣はこのようにして作られていくのか。蜂の巣駆除に成功した我々は午後から次の現場へと向かって行ったのだった。

一ヶ月後。
今度は土場(どば)といって、仕事の資材が置いてある場所にアシナガバチの巣が発見された。今度は何故か親らしき蜂の姿がない。とりあえずこの巣をどうにかしようということで、それをもぎ取り飯場に持ち帰った。巣の中ではすでに蜂の子が孵り、幼虫状のそれが口をパクパクさせて餌を待っている。親はどこへ行ったのか、帰ってこない。先輩が言った。
「蜂の子を食べると精力がつくんですよ」
九州のある地域では蜂の子を食べる習慣がある。巣から取り出した幼虫を炒って味付けしたり、酒に漬けて食べるそうなのだが、以前からその習慣に若干興味のあった自分は、せっかくなのでその蜂の子を食べることにした。生で食べられるのかどうかわからないので、ネットにて検索。すると、蜂の子を生で食べる人はいるらしい。というか、昔の人は蜂の巣から幼虫をほじくりだしてそのまま食べたりしていたらしい。貴重なタンパク源だったのだろう。
ということで、自分もアシナガバチの蜂の子を生で食べてみることにした。先輩たちに止められたのだが、物事なんでも経験である。蜂の巣からほじくりだした幼虫をしばし掌で見つめる。蜂の子はまだ元気がいいのか、体をうねうねとうねらせている。それを口の中に入れた。生きたまま飲みこむとなんだか胃の中が気味悪いので、噛みつぶしてみる。
活きのいいイクラを噛み潰すと、プチッと皮がはじけて中から液体が飛び出すが、ちょうどあんな感じで蜂の子はプチッとはじけて、体液が口内に広がった。若干、青臭いような味がしたが思ったほど不味くはない。少しとろみがある。麦茶で飲み込んだ。
先輩が腹をこわさないか心配してくれたが、あれから数日たってもそんな様子はないし、蜂の子の生食はきっと問題ないだろう。一部のサイトでは寄生虫がどうのこうのというのだが、そんなことをいえば刺身を含めて全てのものが生食出来なくなる。
しかし、はて、肝心の精力は…ついたのかどうか定かではない。

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20130621

久しぶりの近況

【カテゴリ:日常】

どうも、お久しぶりです。いやあ、この2ヶ月半、大変だった。色々あった。
まず、引っ越しをしました。相変わらずの宮崎ですが。
で、仕事が変わりました。鳶やってますね、ワタクシ今。足場工、といって建築物の周りに即席の足場を組む仕事をしています。仕事の面接の時に担当者の方に「この仕事は、きついですよ」と言われ、どの程度きついものか考えたところで始まらず、とにかくやってみれば、まあきつい。世の中にこんなきつい仕事があったのかと思ったのですが、なにがきついって足場を組む際の柱が自分の背丈の倍ほどある鉄管なんですが、これを一度に4本くらい担いで現場を移動する。重量にして50~60kgらしいのだけど、それが担げなくて、無理矢理持とうとしたら左手の親指が変な方向に曲がり、折れたかと思ったよ、俺は。そんな怪我も、しかし、時間が経つにつれ段々慣れつつある、えへ、今日この頃です。
そんなこんなで仕事を始めたのはいいんですが、どうも4月頭から体調が悪い、咳が止まらんということがありまして、生活に追われているものだから自然に治るだろうとひと月ほど放置、病院を後回しにしていたら肺炎になりました。初めて肺炎になったよ、うぬは。
けど、あれだ。はじめたばかりの仕事をそんな休むわけにもいかぬしってんで、39度の熱と肺炎にうなされながら、親指を3度変な方向に曲げながら、なんとかかんとか仕事を続けて回復、立ってます。
最近、ようやく生活も落ち着き始め、しばらく書き物も読書もしていなかったのですが、少しずつ再開。先日読んだ京極夏彦著「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」が存外面白く、ハマってしまったのでブックオフに続編を買いに行きたいのだけど、移動手段がチャリしかなく、夏目漱石の「こころ」なぞ読んでいます。あと、西村賢太「一私小説書きの弁」。
先週は友人の結婚式に出席するため北海道へ行ってきました。受付に飾る詩をなにか一つ書いてくれと言われたので、ぼくは自分の好きな俳人である尾崎放哉の「咳をしても一人」をもじって「咳をしても二人」と色紙に書きました。放哉は何故、「咳をしても一人」と書いたのか。寂しさからか、気楽さからか、それともただ語呂が良かったからか、真意は分からないのですが、いや、一人暮らしの老若男女が増加している現代、また、老人の孤独死が増加している現在、すでに「咳をしても一人」はごく当たり前の状況になっていて、だからこそ「咳をしても二人」は何か皮肉な新鮮味を感じ、誰かと暮らすことの素晴らしさを想起させてくれる。つって、自画自賛しながら贈呈。
で、今日は何やってんだ、というと台風4号が九州に接近中とのことで仕事が休みになり、こうして久しぶりにブログを綴っている次第でありまして、でも、今空は雨も風もない穏やかな曇り空。穏やかな曇り空。穏やかな曇り空。

鳶の話に戻るけど、鳶というのは職人の世界でありまして、自分は当年とって齢30の身でありながら新人としてこの世界に飛び込みました。普通10代から始めるこの仕事は30代にもなればいっぱしの親方となってしかるべきですが、このでたらめな新人は30代から仕事を覚えようと躍起になったわけです。しかし、ま、フレッシュ感のない新人と言われつつ感じることがありまして。
仕事、というのは一生もんですね。
自分は今までに様々な職を経験してきました。列記すれば、居酒屋、パン屋、液晶画面の工場、ビアガーデン、鉄工業、土木、ファミレス、コンビニ、トマト農家、ホテルマン、清掃員、車工場、引越し屋、イベント作業、スーパーなど、無関係にその時々で都合のいいアルバイトをして生計を立ててきたわけですが、職人の世界みたいな10年やってようやく一人前みたな職場だと、付け焼刃でうまくいくはずもない。まず半人前になるのが遠い。
自分の場合、作家志望だから経験として色んな職をやるのはいいっちゃいいのだけど、実際物書きとしては金になっていないので、当座はそれ以外の職で働かずを得ず、そうすると何をやっても四半人前。今更持って仕事ってのは一生もんなんだと感慨深く感じている次第でして。
が。
かと言って、ずっと同じ仕事を続けていればそれで誰しも満足かというと、そんなわけでもないらしく、先日仕事先の職人がこんな会話をしていた。
「宝くじ当たったら、こんな仕事ソッコーでやめるよ」
「そうですね」
嘘かも知れぬ。本当は3億手に入れてもどこかで仕事と縁が切れぬでいるかもしれない、職人とはそんなものだろうと思うのだけど、やっぱり職人だろうとアルバイトだろうと、嫌々仕事をしている人というのはたくさんいるわけで、例えばの話、宝くじが当たっても続けていくであろう仕事を手にした人は少ないのかもしれない。
ぼくが「仕事は一生もん」だと思うのは、手に職をつけるという意味を含め、やはりそうした「どうあってもやりたい仕事」を手に入れることが重要な気がして、そういう意味で言ったらもしかして自分は目指すものがあるだけ幸せなのかもしれない。
よく接客業の文句で「お客様の笑顔のために頑張ります」というのがあるけど、自分はこの言葉が資本主義のスローガンのように聞こえ、例えばパチンコ屋がこのセリフを言っていいのか、街でそんな幟を見かけるにつけ疑問に思うのだけど、けれども本当に「お客さんの笑顔があるからこの仕事をしている。宝くじが当たってもやめない」という人であれば、その人にとってそれは一生もんの仕事なんでしょう。
自分にそういう可能性がある仕事と言えば、やはり物書きしかないような気がしていて、久方ぶりに読み書きを再開した今、妙にわくわくしていることからも、これはきっと宝くじが当たってもやめない。
これから大人になる全ての子供にそういうもの、大袈裟にいえば「夢」が見つかればいいなあと今梅雨に思っている次第です。


雨だれの音も年とつた 山頭火

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