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20100308

阿呆の映画

行きませう、行きませう、そうしませう。
行きましょう、行きましょう、そうしましょう。
行こうぜ、行こうぜ、そうしようぜ。
行こうよ、行こうよ、そうしようよ。
行くぜよ、行くぜよ、そうするぜよ。
行こうや、行こうや、そうしようや。
ゴーゴー、レッツゴー。
行くべ、行くべ、そうすんべ。

つって、少年たちは明け方の街を飛び出した。一人は自転車、一人は車、一人はスケボー、一人はバイク、一人は籠、一人は徒歩、一人は飛行機、一人は草鞋であった。
って、おかしいじゃん、草鞋ってイコール徒歩じゃん、と籠の奴が突っ込んだ。明け方の冴えない街角で。
そういうお前だって今時カゴはねえだろうよ、とそいつは突っ込み返した。明け方の冴えない街角で。
やめろ、やめろ、と一人が言った。みんな黙った。
それぞれがめいめいに街を飛び出してゆく。明け方の冴えない街角で、少年たちは思い思いに飛び出してゆく。
一人は家に不満があった。
一人は学校に不満があった。
一人は人に不満があった。
一人は街に不満があった。
一人は時代に不満があった。
一人は将来に不満があった。
一人は社会に不満があった。
一人は小遣いに不満があった。

小遣いはちっぽけでせう。
小遣いはちっぽけでしょう。
小遣いはちっぽけだぜ。
小遣いはちっぽけだよ。
小遣いはちっぽけぜよ。
小遣いはちっぽけやな。
イッツァスモール。

七人がいっぺんに一人を責めた。ちっぽけだっていいべや、そいつが言った。みんな黙った。
とにもかくにも八人は街を出る。少年たちの反抗が街の通りに風を吹かせた。街はまだ明け方であった。

「反抗記」第一章 完

はい、どうも。こんばんわ。どうもどうもです。
一体、この後、少年たちはどうなっちゃうんでしょうね!?わかりませんね、ドキドキしますね、それではサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

なはんてことを考えながら、淀長を思い出しているのだけど、懐かしいね、どうも。淀長さん、映画って僕らにとって何だったんだろう。この歳になって、もう一度見てみたい映画がたくさんあるよ。素敵だったね。特撮の不自然な軌道を描くジャンプで、敵を倒すC級映画が頭の中に延々と流れているよ。
ジョニー・デップの「不思議の国のアリス」が近々公開されるそうで、あれ観てみたいなあ。映画について語れる知識なんて、これっぽっちも、ないけれど。

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20100426

詩作、阿呆の愛


物欲の果てに海が漂っている。曇天を幾重にも重ねたような、雲が低く垂れこめた空の下。沖の離れ島への渡し船は、けれども人で満ちている。様子を窺ってみれば、みな何やら袂に隠し持っている。船頭は至って無表情だ。何を考えているのか、さっぱり分からない。ただ櫂だけが小波に揺られ、その船べりに擦れてギシッギシッと音を立てている。


船頭はここで何をしているのだろう。こんな船渡しをしていて、一体どういう料簡なのだろう。懐疑心に囚われつつも、陸を発つ人々を見送る。船が離岸する。すると、どうしたことだろう。そうして、幾艘もの船が岸を離れた途端に船頭は船を漕ぐのをやめてしまった。船はひとりでに沖へと流れてゆく。チラと船頭が振り返る。血の涙を流している。


背後から誰かが迫ってきて、出航した船に叫んでいた。履き古した草鞋の緒が今にもちぎれそうなほどに細く頼りない。所望の人はすでに船の上と見えて、声は潮騒にかき消された。肩を落とした人が低く呻く。沖の離れ島には何があるのだろう。ここからそれは見えなかった。ただ、島があるのだと船の上の人は言うが、その言葉は草鞋の緒よりも頼りなかった。


鯨のことを考えていた。もうだいぶ時間も経ったはずだが、空は依然として暗い。もしかしたら、夜はこれからなのかもしれない。鯨はこの暗い海の中で何を食べ、どう過ごしているのだろうか。もしも自分が鯨に食べられたのなら、プランクトンの付着した髭の間を、また外界へと泳ぎ戻ることができるだろうか。戻れたのなら、何をしようか。


海は独りで生きているのではなかった。海は惑星において、一つの「族」に過ぎなかった。陸には大きな隔たりがあったが、海はどこまでいっても繋がっていた。その結束故、人は海に憧れるのだ。振り向くと地平線にかすかな明かりが昇るのが見える。鯨の中にも光は届くだろうか。届く可能性を考えれば、海上よりもそれは遥かに鯨の中にあった。


男も結構不安なもので、日々、心のどこかで母性的なものを欲求している。それは例えば、木漏れ日だったり、或いは秋の吹き溜まり、苔むす道々、グッピーやコカコーラの結露だったりするのだけど、これを人は、まー、最近の言い方をすれば「癒し」なんて言う。人は癒されることで、どういう方向に向かうかというと、気持ちのいい方向に向かう。その気持ちのよさというのを僕は善だと思っているのだけど、何故現代において「癒し」が必要かというと、それだけ現代に気持ちのよくないこと、つまり悪がはびこっているからだ。例えば、あらぬ噂話、お金のこと、見て見ぬふりをした自分、遠慮やお世辞にそれは必ず付きまとうから、社会生活を営む上で必然的に人は悪と付き合っていかなければいけない。だめだ、おら、嫌んだ、おら、悪とは付き合いたくねっちゃ、と言っても逃げられない。逃げるとするなら、これはいくつかの方法をもってして、社会生活をやめることである。そうでなく、社会にいながらにしてこれに立ち向かう方法、というのは唯一つしかないと僕は思う。それは愛だ。そんなわけで最近、愛について、愛の過酷、愛の獲得、愛の成り立ち、愛の精製法、一言で言って愛の方程式を考えているのだけど、そのためには知識が必要だなあ、なんて思って本を読んでいる。散歩している。詩を書いている。結局、愛=神=エネルギー=自然=宇宙なのかもしれんなあ。相対性理論って、愛の理論なのかもしらん。なんて。しかし海。なんか海、いいね海、あ、るるるるる。

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20100703

衝動による自己回文

お前の体はフェードアウト
毎日8時にあれをやりこれをやる顔がたくさん
お前の頭を開いてちょっと気軽になって楽しめたたたた楽しめつるつるつるつるつるつるの壺

マーチダさーーん!!最高だーーー!!!一人暮らしのステレオはいっつもINUがかかって、かかって、かかっていたよー。YORIMO見てるよー。アンニュイ姉妹よかったよーアニュイシマイー。歌詩集買っちゃったよー。最高だよー。オウオウオウ、オウオウオウ。

あのさ、石綿なんだけどさ、最近めっきり言わなくなったね。アスベストだよ。あれ、どうしたの?全部回収しきったの?ヘイヘイヘイ、騒いで問題にして忘れて、そればっかだよ。どうしたんだよ、どうしちゃったんだよ。どうにかしてくれよ。なんとかインフルエンザも、食品の衛生も、ダイオキシンも忘れてエコって言ってたら、エコも忘れそうだよ。自民党も民主党も忘れそうだよ。どうなってんだよー。

俺はおまえを夢の中に引きずり込みたい/現実の外気から傷口をまもる俺の歌を聴いてくれ

大変だー大変だー。給食費問題が大変だー。外でマスコミが騒いでいるのだけれども、うわっぷ、ここは斬新なテーマをお一つ。いやー、料金って必ず踏み倒すやつがいるんすよー。あちきの知り合い、消費者金融会社(かいしゃ)から追われて、勘当されとったけど。アーん、ネタだよネタ。面白けりゃいいんだろーが。って誰かが鉄砲水を流すんだよ、山の上から。故意にだよ。ひでーやつ。流されてる人がいるんだけれど、その鉄砲水を見ようっちゅうツアーが大流行でさ、ここ40年くらい。俺も何回も参加した。一方で、街角で、涙ながらに流されてしまった人たちに寄付もしたよ。余分な金で。しかしもう終わりさ。終わりさ。俺はツアーに参加しない。寄付もしない。高速料金よりもよー、給食費タダにしちゃえよー、新しい事件より、未解決事件の解決を。

ええ加減にせんと気い狂て死ぬ

駅行っとってくださいよ。切符買っといてくださいよ。そんで列車は見送ってくださいよ。それが償いってものですよ。わかっていますか?分かってるんなら今すぐ動いてくださいよ。宇宙の果てにでも行った気になってるんですか?あなたのその弱い頭で。笑っちゃいますよ。笑っちゃいますよ。良寛さん呼んでくださいよ。鳩で僕をボコボコにしてみてくださいよ。言っておくけど泣きませんよ。涙はあなたのためには出ませんよ。あなたは一人で勇気を持って駅に立ち尽くすべきだと思う。そうしないと夜は明けませんよ。

座禅くん1

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20100711

ボブ・ディランの「風に吹かれて」を聴いている。君は今、何をしているだろう?
書きたいことが書けないんだ。まったく、どうしちゃったのかね。頭の中にはいくつものつむじ風さ。くるくる回ってばっかりで、無能な奴らだよ。はいずりまわって、疲れ果てて、君が汲んできてくれた水は、とってもとってもおいしかった。野暮なこと言うなって怒るかもだけど、いつかきっと恩返ししたいと思っている。おっと、Like a Rolling Stoneが始まったな。時間は限られてる。君も僕も次のステップに進まなくちゃだ。その時、僕が遅れを取るようなら、君は決して迷っちゃいけないぜ。振り向かずに行くんだ。いいかい、時間は限られている。自由を手に入れるんだ。時は決して君を裏切りはしないけど、僕はいつか君を裏切るかもだ。人間なんて、そんなものさ。だから期待するな。正直言ってしまえば、そんなとこだ。ふん、やれやれ、僕は酒でも買ってこよう。
ぶっ飛んでしまって、もうどうすればいいのか分からない、と言っていただろう?あれは確かなことさ。僕からしてみりゃ世界はぶっ飛んでる。正常なのは自分の頭の中だけさ。みんなそうだから、世界はぶっ飛ぶんだよ。君なら分かるだろ、この論理。一石を投じたいなら、いっそ狂ってしまうことだな。世界の聖人たちは犯されまくって悶死寸前だ。例えばさ、君は悲しくもないのに葬式に出席したことを恥じなきゃあならない。結婚式に出席して、腕時計ばかり気にしていることが君を殺すんだよ。だけど、社会はそれを強要する。連帯責任を背負っているのさ、気づけばね。それが捨てられず、流される。パスみたいなもんだな、参加したくもない世界に引きずり込まれ、きたねえやり方だ、まったくな。抗う君を笑い物にして、役立たずと罵って高笑い、必死になって引きずり込もうとするのさ。分かっているだろ?やめときな、そんなパスを持つくらいなら乞食になった方がマシさ。なんだか、ジャニス・ジョプリンが聴きたくなったから、僕はもうCDをチェンジするけどよかったかな?それとも邦楽に行こうか?キヨシローなんてどうだい?まあ飲めよ。君が今、どこにいるか知らんけど。
なあ、真夏の昼下がりは未来に通じている気がしないか?その時間、なんだか過去に戻ってきたような気がするのさ。現在が過去っぽいって言えばいいのかな。本当は今が平成30年くらいなのかもしれなくて、22年まで戻ってきた気がする。だから、大切な人に電話したくなる。そうして、何度も言おう。くだらないことは信じるな。くだらないことをくだらないと言うんだ、って。すっきりするから。それにしても、どうせ失ってしまうのに積み上げてしまうのは何故だろう。どこまで行っても丸いのに、ここから動かずにいられないのは何故だろう。それを考えると、やっぱりちょっと寂しい。肉体労働で穴の中に潜って、家に帰って泥だらけのニッカズボンを脱いでいる。2度洗いは決定的だ。明日は雨が降るそうな。探しているから見つからないんだな。探し物を早く見つけるコツは、探さないことだ。忘れていたよ。大事なことだ。
何て言えばいいのかな。うまく言えないんだ。つまり、こういうことだ。あー・・・表から裏へ行こうとしているやつ、裏から表へ来ようとしているやつ、その中間で曲芸しているやつ、色々な人間がいると思っているんだろ?つまり、人間はそれぞれ違うんだ、と。偏差値や資産や家柄や国籍や趣味やセンスや挙動や発言や思考や格好で、人間には差がある、と。オールオッケーだ、それは差だ。同じ人間はいないのさ。けれど、本質を探ってみよう。行きつくところまで行けば全ては一つだ。宇宙はビックバンで生まれたんだ。僕も君もその粒子さ。辿ってみよう、本当の故郷を。その行為を愛って呼ぶんだぜ。昼からいやに蒸すじゃないか。アイスを4つも食べてしまったよ。いやはや、またまたつぐんでしまったね。歩き出さないといけない。しかし、どこへ行くっていうんだ。むやみやたらに半径10kmを行き来して、命をすり減らすのはゴメンだ。僕は脱出する。エスケープってやつだ。またまた君を裏切るかもな。アディオス!嘘に決まってるじゃないか。僕はいつも君のそばにいる。

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20100926

頑張る意味

・頑張ろうが言えない
最近、「頑張ろう」という言葉が遣いづらくなった。
巷では「頑張らない」生き方というのが流行のようで、「頑張ろう」という言葉は禁煙指向同様、なんだか駅のホームでもどんどん隅っこの方に追いやられ、ついには灰皿を取り上げられてしまったように、社会から追いやられている感がある。
かつて、スポ根というジャンルの漫画、アニメ、ドラマが流行ったことがあるこの国では、まるでそれが冗談だったかのように、一転、社会は「頑張らないでマイペースに生きましょう」「ナンバー1よりオンリー1」という姿勢の支持を打ち出し始めた。その背景はいったい何だろうと考えていたのだけど、「頑張らない生き方」の裏に、「頑張りすぎている現代人」の存在が見え隠れしていることに気づかされた。

・頑張りすぎる現代人
頑張りすぎる現代人。なんだか妙にしっくりくる語呂だけど、では現代人は一体何をどのように頑張りすぎているのだろう。広辞苑で「頑張る」という項目を引くと、
1我意を張りとおす
2どこまでも忍耐して努力する
3ある場所を占めて動かない
とある。
自分がイメージする「頑張っている人」というのはこの2番目に近く、社会の中で活力的に生きている人々を指す。毎日を、仕事も家庭も遊びも真剣にやっている。その真剣さに対して内的な努力をしている人を「頑張っている人」と定義する。
翻って、「頑張りすぎている人」と聞いてイメージする人はどんな人だろう。仕事に追われている人、ストレスを抱えている人、常に疲労状態にある人・・・。
こう考えてみると、「頑張っている人」というのが健康的なイメージを持っているのに対して、「頑張りすぎている人」というのは、どことなく不健康なイメージがつきまとっている。「頑張りすぎ」という言葉には、どことなく過労や鬱といった言葉と直結するダークなイメージがある。
そこでもう一度、視野を広げて現在の社会を見てみると、社会には頑張っている人を飛び越して、そんな、頑張りすぎている人が多くいるような気がする。頑張っている人は目立たないが、頑張りすぎている人が目立つのだ。それはいったい何故だろう。

・頑張るというハードルの高さ
考えてみると、不思議である。確かに、マスコミに言わせれば社会には過労や鬱が増えたという。しかし彼らは、頑張っている人が増えている、とは言わない。頑張りすぎている人が増えているために、過労や鬱が増加し、「頑張らない」生き方が提唱されているというのに、何故、頑張っている人の増加にイメージが湧かないのか。
そこで自分は、以下のようなことに気づいたのである。
というのも、社会では今、頑張りの飽和が起こっているのではないか。実は全員がすでに頑張っているような気がするのだ。頑張っていることが、まず常識として当たり前のラインにある。だから、どれだけ頑張っても、周りからそれを「頑張っている」と評価されることが少ないのではないか。そうして、誰よりも頑張った人は、結果、オーバーヒートによって心身を病むのではないだろうか。
例えば、サービス残業が「して当たり前」の風潮が表れたように、どこにいてもケータイで仕事の要件が伝えられるように、子供たちは子供たちで偏差値と受験勉強に無条件に巻き込まれるように、本来、個々人として「頑張っている」と評価されて余りあるような行為が、強制的な全員参加によって「やって当然」の行為に成り下がった。「頑張る」という行為が、どんどん高い水準へと押しやられてしまったのだ。それはもはや、幻に近い。そして、その評価を取りに行った人が不帰の人となること多数。過労と鬱の悪夢に辿りついた時には、誰も「頑張った」とは褒めてくれず、「頑張りすぎた」と言われてしまうのだ。会社は見舞金を出して、それで終りである。その後の面倒などみてくれない。また、それと符合するように、最近は鬱病の学生が増加しているという。恐ろしいことだが、現代にとって「頑張る」という行為は、蟻地獄のようなものに思えてくる。人間の使い捨て、淘汰の時代と言ってもいい。これは昨今叫ばれて久しい「燃え尽き症候群」にも同じことが言えるのではないだろうか。

・「頑張らない」という抵抗
だからこそ、そんなおかしな世の中に抵抗するための合言葉として「頑張らない」という言葉が出てきたのであろう。「頑張らない」とは怠ける意でなく、社会に流されないという意であったのだ。自分はここまで考えた時、なるほどと思った。社会は今、日本の未来が誤った方向へ進もうとしていることに気づいているのだ。効率化の代償として、人間の精神が破壊されていっている。本当の豊かさを失っていっている。だからこそ、頑張らないという抵抗を見せている、と自分には思えた。
このマニュアル化社会の中で、日本人は覚えなければならないマニュアルがたくさんある。一律化していく日本列島の中では、遅れをとったものから脱落していく。パソコンを使えない人間はリストラの対象になる。逆にマニュアルを多く覚えたものほど、「勝ち組」に入れる可能性が高くなっていく。数多ある免許や資格、これらを取得するためのテストも、また一つのマニュアルと言えるし、際限なく発売され続ける電化製品の使い方も、より多くを覚えた者が持てはやされる。
頑張らないとは、そういうものに対する抵抗だと思うし、もっと言えば自己のアイデンティティーを確立するための戦いなのだろう。とても勇敢な行為だと思う。ただ、これだけでは弱い。向こうから寄せてくる波に対して、真っ向から向かい合うベクトルでは、いずれ力の強い方に飲み込まれる。遅かれ早かれ、またいずれ「頑張らなければいけない」日がくるだろう。その時に、今度は、頑張る気力が残されているだろうか。この波は「頑張らないものには死を」という強引でとめどもない巨大な波だ。今、我々がその波に逆らう力を本当に持てているかどうか。疑問に思う。やはり、頑張るという方向で生きていかねば、今の時代は生きていけぬのではないか。

・「頑張る」という反抗
そこで自分はもう一度、「頑張る」ことの意味を提唱したい。
「頑張る」という行為は掛け捨てではない。貯蓄である。ところが現在は、この貯蓄にならない頑張りがあまりに多すぎる。例えば、工場で働いた経験のある人なら分かると思うが、ライン作業で覚えた仕事など、そこを辞めてしまえば全く役に立たない。俗にいう「潰しがきかない」というやつだ。そんな「役に立たない経験」「報われない頑張り」が世の中になんと多いことか。だから、貯蓄にならない「頑張り」ならば、その場で勇気を持って捨てることも大事だ。それは、「頑張らない」とは違う。意味のない頑張りはせず、もう一度、意味のある頑張りを探求することである。
それは、反抗としての「頑張り」だ。抵抗ではなく反抗。ただ抗うのでなく、いつかひっくり返してやるのだという気概。それがこの、人間を使い捨てにする、現代を誤った方向へ押し流そうとする巨大な波をいつか打ち消すきっかけになるだろう。だから今は、その波に押されながらも、こっそり自分だけの道を見つけ、そこに向かって頑張るのだ。それは「夢」であり、或いは「希望」といったものである。そういうものがこれからの時代、本当に大切なものになってくるのだろう。個人個人が意味のある頑張りを。それこそが合言葉だ。一律化でない、人間らしい頑張りを。ファイト。

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