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20110918

宗教について

【カテゴリ:考察】

宮崎に住み始めてから、宗教について勉強を始めるようになった。
というと、また唐突に聞こえるかもしれないが、自分自身がカルト教団に属すとか、なんか変な思想に傾倒するとか、そういった類のものではなく、単純に宗教学をかじり始めたという話で、例えば今、部屋の書架にはキリスト教の口語訳聖書、イスラム教のコーラン、ウパニシャッドやチベット密教、理趣経、歎異抄について説いた仏教関連の書籍、それから道教、老荘、荀子、墨子、孟子などの本が並んでいる。
宗教というのは勉強するととても面白いもので、やがてそれは否応なく哲学、果てはイデオロギー、共産主義、資本主義、すなわち政治にも行き着くのだけど、ともかく現在世界を動かしているもの、その根源が宗教にあることはこれ、疑いようのない事実だろう。
戦争も経済も、実は宗教によって動いている。わかりやすい答えを言えば、現在世界で一番大きな組織は、日本のトヨタでも米国のマイクロソフトでも華僑でもなく、キリスト教だということである。
現在、世界のキリスト教徒は20億人ともいわれ、世界人口の3~4人に1人はキリスト教徒である。これはどういうことかというと、極端な話だが、もし世界統一大統領選挙が行われた場合、キリスト教から立候補した候補者が絶対的に当選する、ということであり、すなわち、それだけの政治力、経済力をキリスト教が単体で保持しているということである。
それに次ぐのがイスラム教の13億人であり、これを見ることから、現在もキリスト教とイスラム教の争いが無くならない訳が見えてくる。どういうことかというと、早い話がキリスト教とイスラム教は「どちらが世界一の組織なんだ」ということを争っているわけであり、これは日本の歴史に置き換えれば、石田三成と徳川家康の天下分け目、関ヶ原の戦いのようなものである。
さて、しかし、ここで宗教というものに大きな矛盾点があることを皆さんもお気づきだろう。
というのは、宗教とは各々に教義は違うものの、ほとんど共通して変わらないのが人民の幸福を追求している点であり、幸福を追求すればこそ、戦争で人を殺しあうなどということをやってはいけない。徳川家康と石田三成という武将は、これは武力を掲げ天下の統一を図った。だからこそ争いもしたわけだが、宗教がそれをやるのはおかしいんと違う?それは絶対的に論外であるはずなのに、なぜそれでも争ってしまうのか。例えば、キリスト教は「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」みたいなことを教義として持っているのに、なんでアメリカはイラクに報復したのか?それ、おかしいやん。普通に考えて。という点なのである。めっちゃおかしいやん。
ところがご存じのように、アメリカは何も本気で腹が立ってイラクに報復したのではない。イラクを攻めたのは、油田がほしかったわけである。それは何故かというと、エネルギー資源を牛耳ることで少しでもアメリカの繁栄が約束され、そうすればアメリカ国民が路頭に迷わず、リッチに生活することができるからである。
さあ、このことからわかるように、はっきり言って現代において宗教というのは、実はその教義自体が政治や経済に関与しているわけではない。まあ、単純に考えて「右の頬を打たれて左の頬を差し出し」ていたら、国民など到底守れず、国が乗っ取られてしまうだろうから、現実的にそんなことをしているわけにはいかない。
では、政治と経済、そして宗教がどこでリンクしているのかというと、「組織力」である。政治と経済は常に宗教の組織力を求めているし、宗教もまた政治と経済によって組織の拡大を狙っている。だから俗に言う宗教戦争といわれるもの、これは政争だと言い切って差し支えない。宗教戦争はなにも「自分たちの神が正しい」と言いたいがために戦っているわけではなく、自分たちの勢力を拡大し、その組織力によって生活を豊かにさせていくために行われるのである。政争に対して、宗教という組織の名、神の名を借りているにすぎない。もっとも下層部の人々は本気で「神」を信じ戦っているかもしれないが、トップは「神」よりも「資源」に注目し、その限りある資源と自らの生活をめぐって殺し合いをしているわけである。
話をもどそう。
そんなわけで、宗教はいまや、宗教本来の意味を見失っているかのような現状なのだが、あらゆる宗教を見回した時に光を放っている部分もまた確かにあるのだ。
なぜ、この世界に宗教が誕生したのか?
初期の宗教の役目とは何だったのだろうか?
宗教が政治と手を組む前の宗教、と言えばいいのだろうか。貨幣が生まれ、資本主義が生まれ、経済がすべてにおいて優先される以前の宗教。宗教の純粋な部分。
それはいったい何なのだろうか?
その一つとして、今ぼくは密教にスポットを当てている。
道徳だとか倫理の押しつけではない、また死後の世界といった無根拠な部分でない真理の追求。宗教が、化学や医学や哲学といったものに分裂する前に目指していたもの。密教は、数多の宗教の中でも、それが明確に提示されているような気がするのだ。
そんなわけで、最近は弘法大師空海についていろいろと調べている。もともと、自分の実家は真言宗だから弘法大師とは縁が深いのだけど、弘法大師が生涯をかけて追究した密教、これがやはり面白いと、学べば学ぶほどに思うわけで。もちろん、他の宗教が駄目だと言っているわけではなく、ただ、密教が調べやすいからということもある。文献が多いし、日本に根強い宗教だし。いや、面白いです。


祠と人形

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