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20111030

身分制度について

【カテゴリ:考察】

江戸期以前の日本の身分制度について書こうと思う。
前々回、天明の大飢饉について書いた時に、非人の出自について触れた。それが中途半端だったので、少し整理したい。
「非人」というのは、言わずもがな、江戸時代までの身分制度の中の一つだ。士農工商とあり、その下に穢多、非人という身分が続く。自分はこれを中学の時に社会科の授業で習った。
今でも印象的なのは、その授業中に教師から「穢多非人という言葉はここで習うけど、絶対に口に出してはいけない言葉だ」と教えられたことだ。生徒が軽率にそういった言葉を喋るのを危惧したのだろう。釘を刺されたわけだが、そんなことがあったからか、逆に自分の中では、それ以上この問題に近づこうとしなかった経緯がある。
ところが最近になって、宗教のことを学んだり、自分の先祖のこと、それにまつわる日本史や世界史などを調べていくうちに、どうしてもこれは避けられない道だということがよく分かり、江戸時代以前の身分制度について足を突っ込んでいる。
教師がなぜ、「絶対に口に出してはいけない」と言ったのか。
それは何故かと言えば、一言で言って現代においても社会はこの身分制度、またそれにまつわる差別問題を引きずっているからである。
至ってデリケートな問題だ。テレビニュースも避けて通る。
いわゆる同和問題というのがそうだが、かつての身分制度が今でも尾を引いている。社会に出ても教えてくれる人などほとんどいないが、実は現在でも地名や苗字や職業で、その土地や人間の出自というのは案外筒抜けの情報として残っている。例えば、ある大手企業で就職の面接を受ける際、特定の地域からの出身者はそれだけではじかれてしまうというようなことが今でもあるそうだし、逆にその出自を利用した同和利権というものも発生している。ここら辺は複雑に入り組んだ問題なので、一筋縄で解決できる問題ではない。解決できる問題ではないので、無くならない。
部落差別の問題は、昭和期の学生運動を境に世間からの関心が薄くなっていったように思える。これはおそらく、一つに岡林信康さんや加川良さんといったフォークシンガーの登場で、こと部落差別を問いただす内容の歌が世の中に浸透したからではないだろうか。正直、ぼくの世代は部落差別のようなことにしてもほとんど関心が薄く、薄いからまるでそんなことがないような錯覚にも陥るのだが、この問題は放っておけばいつかなくなるというようなものでは決してない。あるところには確実にある問題だ。
では、どうしてそういった身分制度が生まれたのだろう。
同じ人間同士が、どうしてそのような差別をしたり、また受けるようになったのか。ということなのだが、これには諸説あり、どれも定かではない。
被差別階級の発生は、一説に太閤豊臣秀吉からだと言われる。
世が豊臣政権のころ、離農する農家が多かった。米作りは大変なので、もっと楽な仕事を追い求める者が多く、その結果、畜産に多くの人が集まるようになっていった。そうしたところ、米の取れ高が減ってしまい、慌てて離農を禁じたのだが、その際、畜産業を営む者を不当に卑しい身分として貶めたことに端を発するのではないか、という。この場合の畜産業と言うのは現代のそれではなく、皮革加工業ということになる。ただ、明確に階級を設置したのがその時であったにしろ、職業などの身分階級制がそれ以前から行われていただろう証拠はいくらでもある。
穢多非人、という言い方も実はこれで終わりではない。
この下にまださらに細かい身分が続いている。一番下は「忘八」という。仁義礼智信孝悌忠と8つの徳を全て忘れた人間以下のケダモノという意味で使われた。これは当時、吉原などの遊郭で従事する取締役の男連中を指したりした。この遊郭の話はまた別の機会に設けたいが、過去の日本にはそうやって、被差別階級の中でさえ、さらに細かく区分けされた階級が存在したわけである。
少し話は飛ぶが、インドにも似たような身分制度がある。カースト制度だ。
カースト制度の発生は判然としていて、元をただせばアーリア人の侵攻から発生している。最上階級のバラモンはアーリア人の特権階級とされ、下方の身分におかれたのは侵攻された側の先住民族である。カースト制も1950年に憲法で禁止されたが、なくなってはいない。
同じようなことはアメリカにもある。インディアンにまつわる問題だ。彼らは先住民族ながら、広大な土地を求めやってきた多くの白人開拓者によって迫害され、長い間、野蛮で粗野な卑しい存在とされた。
では、翻って日本はどうなのだろうか?
日本は単一民族の国であるのか、それとも侵略された国であるのか、ということである。ここに日本神話と渡来人の関係があり、時代は記紀まで遡る。例えば、今でも北海道で根強い差別が残っているといわれるアイヌ民族は、日本の先住民族ではないかと言われてきた。
差別というのは、君主の発生によって起こる。王というものは、歴史上、侵略によって生まれてきた。そして、そこに自然と奴隷、つまり被差別階級は生まれる。これは侵略された側の人々である。
日本の身分制度がなぜ誕生したのか。この問題が日本史や世界史に大きく関係しているというのは、ここにつながる。おそらく、身分制度とは、日本に天皇が誕生した時と同時に発生したのだろう。そして、日本が戦争に負け、天皇が神から人になった時、日本においての身分制度は学生運動の起こりと共に消極的になっていったのではないか、と思える。
ところで。
「身分証明書」という言葉があるが、この言葉がなぜ無くならないのか、ぼくはいつも不思議でならない。パスポートを作るときでも、レンタルビデオの会員カードを作るときでも「身分証を出せ」という。「身分などないよ、私は人間だよ」と切に訴えたくなるが、保険証なり免許証なり、自分が何者であるかを提示しないと話が先に進まない。身分証明書を持たない者には、DVD1枚レンタルしてくれない。
だから、現在の日本が差別のない平等な国かと言えばそれはノーで、実は公然と差別がおこなわれているようにも思える。「身分制度は無くなりました」と国は言い、そして我々も平等に教育を受けて、なんかよく分からん平衡感覚の中で生きているが、身分は未だに存在しているのではないだろうか。学校のいじめ問題や会社の派閥争いといった人間関係のギスギスがなぜ無くならないか、というのは、この不透明な社会環境とそのストレスがそうさせているようにも思えるのである。


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