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20121031

源学備忘録  不老薬

【カテゴリ:日常】

生死、と一言でいうけれど、思えば人間の生死の境界線はどこなのだろう?
生まれる、ということは出産には違いないけど、命の誕生がどの瞬間であったかというと、すでに心臓の鼓動は母の胎内にいる時から始まっているわけだし、その元をたどれば、卵子と精子の結合、つまり「受精」ということになるだろうか。受精した瞬間から、その個体の生命活動である細胞の分裂が始まる。
では、死とはなんだろう?
これもやはり細胞の分裂が停止した瞬間ではないだろうか。細胞の分裂から命が始まるのだとしたら、分裂停止で命の終わりと見るべきだろう。だが、実際には人間は死後数日間は髪と爪が伸びる。これは毛根細胞などが生きているためだが、人の呼吸器官やあらゆる組織が停止し、脳が死に、血流が止まり、体温が失われた状態でも、この細胞生存期間をもってして生と言えるかどうか、疑問だ。(ちなみに科学的に「死」のはっきりとした定義は今もって確立していない。心臓死か、脳死か、それともすべての器官の活動の終了なのか)
年をとり、人が老けていく、ということは、この細胞が傷ついていく過程だと言われている。本来ならば、細胞というのは分裂し続け、コピーを作り続けるわけだが、そこになにがしかの(遺伝的、外因的な)理由をもってして、細胞が劣化していく。もともと癌になりやすい遺伝を持った人や、環境ホルモンなどによって、細胞は変化したりする。
これはCDやDVDの焼き増しを繰り返すと、いくらコピーといえど品質が劣化していくのに似ている。そのうち、データはハードで読みこめないほど粗雑になりエラーを起こす。それが人間に置き換えるならば病気であり、死だろう。つまり、老化とはコピーを繰り返し過ぎたがためのデータ劣化状態であり、エラーを起こしやすくする現象だ。
では、この劣化を修復するソフトがあったらどうだろう。ハードに読みこませるだけで、自動的にデータの劣化部分を修復してくれるソフト。そんなソフトがあれば、細胞はいつまでも健康状態を保てる。
そんな薬が現在、開発中なのだという。完成すると、人間は不老不死になるという。不老不死といっても、当然事故死などは免れ得ないのだが、それでも人間の寿命が飛躍的に伸びると言われる。2か月ほど前の週刊現代(だったか?)に特集として、そんな記事が載っていた。詳しくは忘れてしまったが、外国の学者があと10年ほどもすれば完成するだろうと公言している、というような記事だった。すでに試作段階にあるようで、基金を募っていた覚えがある。
まあ、そのような薬が出来てもおかしくはないだろう、と思う。
問題は倫理的な部分なのだけど、さて、皆さんは「ちゃんと死にたい」と思うだろうか?希死的な意味の「死にたい」ではなく、人生の始まりに対して「終わり」を持ちたい、という意味で。
きっと現在、多くの人が老化と寿命を結びつけて考えていて、年をとったら自然に死ぬものと考えている。では、ここから老化を引き算した時、つまりいつまでたっても20代というような若さを手に入れた時、果たして我々は「生まれて80年経ったから、そろそろ死のうか」と思えるだろうか。
もし、世の中に自然死がなくなったら、まず子供を必要としなくなる。世代交代が起こらないからだ。しかし、それでも人口は増え続けるだろう。皆が若い世界で、セックスがなくなるわけではない。
お互い20歳の体をした男女が、実年齢は80歳や150歳ですというような話が起こってくる。
また、人口増加による争いも起こるだろう。そうなると長寿化したからと言って、その世の中が幸せであるとは限らない。
「いつ死んでもいいけど、今日は嫌だ」という名文句があるが、誰でも、その先に不幸が待っているかも知れなくても、ちょっとでも長生きしたいと欲する。それが人情だろう。
科学は猛スピードで発展している。
実際、先日ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中教授のiPS細胞は、それを地でいっている話だ。細胞を保存しておけば、体のどこかでエラーを起こした時に交換できる。それは人間のさらなる長寿化の可能性を秘めている。
そう遠くない未来に、不老不死は待っているかもしれない。しかし、そうなった時、我々はきっとまた大きな壁に対峙しなければならない。法律もマナーも一から作り直しだろう。
長寿化社会を目指す我々だが、残念ながら長寿が幸せに直結しているわけではない。当然、死んでほしくない人や、そういう気持ちはある。だが、例え300年生きられるようになったと言っても、結局、そのうちの250年くらいは働かねばいけないのだ。目標があればいいが、大抵はうんざりするだろう。権力者ならOKかもしれない。しかし、権力者だってやはり250年間を刺客の恐怖に怯えねばならない。そう考えると、人生80年、というのはなかなか区切りのいい数字に思えてくる。
やはり年老いて、ある程度体の自由をなくし、社会から「働く」ことを免責されている方が、よっぽど楽しみがいがあるというものではないだろうか。永遠に若い体を手に入れて得することなど、実は何一つないのではないか。
誰も死なない世界、それは同時に誰も生きられない世界だろう。
自分だって年をとりたくはないが、しっかり年老いて死にたい。

駐車場のネコ


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