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20101219

ロケットに乗せる人

【カテゴリ:日常】

高校の頃に、こんなことを考えたことがある。

「地球最後の日、自分は地球脱出用の自家用ロケットを持っている。しかし、そのロケットの定員は10名。その10名を自分が選ばねばならない。さあ、誰を乗せるか?」

皆さんだったら、誰を乗せるだろうか。

高校生だった自分は、まず家族のことを思い浮かべた。自分を含めて6人の家族を最優先で乗せる。
すると余った席は4名分である。ここに誰を乗せようか、真剣に悩んだ。
最初に頭に浮かんだのは親戚である。しかし、親戚を4人といっても、そんなもの選べるはずがない。それに親戚は親戚で自分の家の自家用ロケットに乗ればいい。
ということは、友達か?と思ったが、しかし、友達にしたって同じことである。4人を選ぶのは難しいし、またそれぞれに自家用ロケットを持っているだろう。
ということで、人間でなくともうちの犬と猫を乗せよう、という結論に至った。
この問答の基本的な設定として、これは自家用ロケットであり、今でいう車のように各家庭にあるものという設定だから、なんていうか、とりあえず自分たちが助かればいい、と最初は考えたのだ。
しかし、暫くして自分は思い直した。

「世の中には貧乏で自家用ロケットを所有していない人もたくさんいるのではないか?」

考えてみれば当然なことである。世の中には車を持っていない人も多い。そこで、自分は少し考えを方向転換した。やはり、犬と猫はやめようと思ったのである。
この4つの貴重な席には、自分が見ず知らずの人でも、自家用ロケットを持っていない人たちを乗せてあげよう。そう考えた。
けれど、自家用ロケットを持っていない人といっても、それはそれで沢山の人がいるだろうから、そこはやはり自分の身近な人から順に乗せていく、という方法が良いだろう。そこで、これは先着順がいいのではないか、と考えた。
自家用ロケットを持っていない近所の人が、乗せてくれとやってきた時点で乗せる。それが4人来たら終了。満席になったところで発射という寸法である。ところが、またもや、疑問が自分を襲う。

「先着順といったって、そんなにうまく4人が決まるだろうか?」

例えば、一人目におっさんが乗って、二人目におばあさんが乗って、三人目におばさんが乗って、四人目に若い男が乗る。そこまではいい。
その後ろに五人目が並んでおり、それが小さな女の子だった場合はどうか?
さらには、その女の子の両親が「どうか、この子だけは乗せてやってください」と言って懇願してくる。そのような場合、どうしたらいいのだろう?
もしも、そうなった時、先に来たおっさんか、おばあさんに「すいません、この子のために降りてください」と言わねばならないのではないか?という思いに駆られたのである。

おっさんか、おばあさんに降りてもらう。

厳しいようだが、致し方あるまい。席が10個しかないのだ。人生が残り少ないおばあさんより、まだまだ先のある子供を助けてあげるのが選択としては順当だろうし、そこで「うんうん」と健気に降りていくおばあさんであったなら、「ちょっと待ってください、おばあさん。こういうことは男の役目です」とおばあさんをかばって、降りていくおっさんの姿もまた望ましいであろう。
しかし、その小さな女の子の後に、さらに赤ん坊がいたとしたら、どうであろうか?やはり、おばあさんにも降りて頂かねばなるまい。
そう考えていくと、残りの4席というのは必然的に子供で埋まる。自分の家族+見ず知らずの子供4人、というメンバーになる。
なるほど、と思ったが、自分としては納得いかない。というのは、5人目の子供は見捨てるのか?という問題である。
4人目まで子供で埋まり、10人満席になったロケットであるが、入り損ねた5人目の子供がその両親と共に、ロケットの外で悲しみと悔しさから涙を流している。それを見た時、自分はそのままロケットを発射していいのだろうか?
そこまで考えた時、自分は「自分が降りよう」と思った。
5人目の子供を乗せるために、自分が降りればいいのだ、という思いに至ったのである。
蓋し、その選択は当然であると思った。当時、高校生だった自分は、その自己犠牲の精神溢れる答えに、自分自身でうっとりしていたぐらいだった。

それで答えが出たかのように思っていたある日、しかしまた、自分ははたと気づいた。

というのは、自分が降りると言ったところまではいいが、ロケットに乗っている家族、ことに両親がそれを認めるだろうか、と思ったのである。
というのは、残された親は堪らない。自分が降りる、と言ったらそれは即ち、息子の死を意味しているのだから、猛烈に反対してくるだろう。よしんば反対せずとも、「お前は乗っておきなさい。俺が降りるから」とうちの親父が言うに決まっている。
それは悲しい。自分はカッコよくヒーローのようにその場を去りたいのだが、どう考えても親がそれを認めるはずがないのである。それは別にうちの親に限ったことでなく、世間の親子関係にとって、ごく自然なことであろう。
一休和尚が言うところの「親が死に、子が死んでから、孫が死ね」というやつで、死には正しい順番というものがある。しかしまた、そう考えると、今度は祖母が「私が死ぬ」と言い出しかねない。親もまた、祖母にとっては息子であり、娘なのだ。

・・・ということは、結果的にロケットの乗船員は祖母を除いた家族5人と見ず知らずの子供5人、ということになる。

どうも話が変な方向に向かってしまった。というのは、何故に見ず知らずの子供を助けるために、うちの祖母が犠牲にならねばいかんのだ、と、その答えが自分には納得できなかったからである。
だって自家用なんだから、本来は自分の家族だけ乗っていればいいのだ。それが何故、余った4席のために自分の家族が犠牲にならねばいけないのだろう。自分は納得できなかった。しかし、席を余らせたまま、人を見捨てて出発するわけにはいかない。
それに、子を思う親の気持ちは誰でも同じはずだ。親が「どうしても乗せてやってほしい」という幼い子供があれば、自分は甘んじて席を譲ってやりたい、という気持ちに嘘偽りはない。
しかし、そうすれば結果的に祖母が犠牲になる。では、自分はどうすればいいのか?
親を悲しませながらも強引に降りればいいのか、祖母を見送ればいいのか、子供を見捨てればいいのか、ここで自分の考えは堂々巡りになってしまい、ついに答えが出せなかったのである。これが高校時代の自分の悶々であり、在学中、ずっと答えが出せず、ついには考えることを放棄してしまったのだった。

それから7年。自分は徒歩で日本一周という旅に出ていた。
高校時代のそんな問答をすっかり忘れていた自分が、旅の途中で高校時代のことを振り返っていて、「そういえば、こんなことを考えていたなあ」と、その問答のことを思い出した。そこで、「よし、久しぶりにこの問題に向き合ってみるか」と思って考え始めたところ、小一時間もしないうちに、高校の頃は思いもつかなかった答えが出たのである。自分はその答えに大変満足した。
(その時のブログ→http://takazawasatoshi.blog87.fc2.com/blog-entry-559.html
この時自分は、高校時代の自分の誤りに気づいたのだった。
というのは、ロケットに乗せる人を「家族」と「家族でないもの」とに分けて考えていたことが、まずそもそもの誤りだったと気づいたのである。
その時、自分が出した答えは、ロケットには家族を乗せない、というものだった。

自家用ロケットなのに、家族を乗せない。

何言ってんの?という人もいるかもしれないが、理想を追うと、どうしてもそうなるのだ。
別に、家族だから絶対に乗せない、というわけではない。家族のうちに乗せるべき人がいれば乗せればいいだけで、乗せる人を家族か家族でないかという括りで分けないということである。
地球がなくなる最後の日、もしかしたら人類滅亡の危機かもしれない。そんな中で「うちの家族が・・」とか「よその人間が・・」などと言っているのは全くのナンセンスである。
肝心なのは、人類のためにロケットをどう活かすかであって、それさえ決まれば、ロケットに乗る人間の人種や国籍など、実は関係ないのだ。
言ってしまえば、そのロケットが他のロケットとはぐれてどこか未開の星にたどり着いた時、家族しか乗っていなかったら、どうやって子孫を作っていくの?という話である。子孫が作れなかったら、人類は終りなのだ。

つまり、地球を後にする、という時点でロケットにはまずアダムとイブを積みこむことを最優先に考えねばならないのである。

そう考えていけば、ロケットに乗せるべき人間は必然的に、簡単に決まってくる。
自分は、血のつながりのない8人の子供と、その子供たちを指導・育成するための一組の優秀な夫婦を乗せるのが良いと思った。
理想を言えば、夫婦は料理に詳しく、勉強も出来、肉体・精神ともにたくましい、知識と経験の豊富な人間が乗るのがベストだろう。
子供を乗せず、大人10人でもいいようだが、それではどうしてもしがらみが生まれるので、やりづらい。逆に子供10人でもいいかと思ったが、指導者がいないと色々道を誤る恐れがある。では大人1人つければいいかとも思うが、大人1人で子供9人を見るのは大変だし、子供には父性と母性の両方ある方が望ましいだろう。そしてこれが夫婦であったならば、人間にとって一番大切な愛を子供たちに自然と伝えやすい。
近親による遺伝子異常を避け、高度な教育を子供たちに与えていく。あらゆる問題を加味した上で、最善の道と思われたのが、血のつながらない8人の子供と優秀な大人の夫婦という10人だった。
そして、子供でも優秀な夫婦でもない自分は、その10人のためにロケットを譲るべきだ、という答えに行き着いたのである。
残った家族には「みんなで地球に残って一緒に死のう」と言うしかない。
とまあ、2年前の自分はこのような答えに行き着いて満足した。これで正解だろう、と思ったのである。
しかし、最近はもっと最良の答えがあるんじゃないかと、また疑っている。何かまだ、いい方法があるような気がしてならないのである。

意識したわけではなかったけど、この話は、聖書でいうノアの方舟伝説と似ている。
人類の悪事を見かねた神が、唯一心の清かった人間ノアに向かって「生物を滅亡させるために洪水を起こすから、お前は方舟を作って脱出しろ」と告げ、ノアに方舟の製作を促す。そして、ノアは神に言われた通り、その船に家族と地上にいる全ての生物のつがいを乗せて漂流するのである。聖書には、そう書かれてある。
なるほどなあ、聖書ではそう書いているのか。しかし、10人乗りの自家用ロケットに地上の全ての生物のつがいを乗せるわけにはいかないしな。
まあ、なんにせよ、考えるのは簡単だが、有事の際、これを実際に行動するのは難しい。
例えば、周りのロケットがみな家族を乗せて飛んでいくような状況の中で、自分は流されずに信念で生きられるかどうか。至難の業だ。
真理と一言でいうけれども、その答えは限りなく遠いところにあり、日々葛藤と反発に打ち勝ち続けねば、正しい選択は得られない。
こういう馬鹿馬鹿しいようなことでも、考えておけば、いくらかは「いざ」という時に役立つだろう。イメージが出来ていなければ、「いざ」という時に動けないし、動けなかったら、ただの傍観者である。
傍観するなら傍観するで、そういう選択もアリなのだろうが、それならそれでそうと決めて生きるべきだ。流されて傍観するのはただの怠惰だ。
自分は傍観者にはなりたくない。

海と鳥


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